このブログについて

このブログは、工藤美代子/加藤康男による「関東大震災時の朝鮮人虐殺を否定する本を検証するために、

「民族差別への抗議行動・知らせ隊+チーム1923」が作成するものです。

初めてご覧になる方は、入門編「はじめに」からお読みください。

2015年1月29日木曜日

トリックその4

                                                    

出版物として許されないルール違反を乱発


工藤夫妻(工藤美代子/加藤康男)が書いた『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(旧名『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』)という本のトリックはすでに見てきたとおりだが、それ以外にも、この本の至るところに細かいトリックが仕掛けられている。そしてその中には、本来、出版物として許されないルール違反を行っているものもある。

最も問題なのは、史料の引用に際して、(略)とも示さずに内容の一部をこっそり省略してしまうということを公然と行っていることだ。朝鮮人暴動実在の証拠という文脈で引用されている史料16本の引用に限っても、そのうち7本で「こっそり省略」を行っている。(略)と示されていないので、どこが省略されているのかは原文と突き合せないと分からなくなってしまっている。

しかもそのことを、なんと凡例で、「(略)と記した箇所以外にも読みやすさや紙幅の関係から省略した部分がある」とあらかじめ居直っている。こんな凡例は見たことがない。「紙幅の関係」であれば(略)と明記すればよいだけではないか。

「なかった」加藤康男版の凡例(クリックで拡大)


実際には、省略は「紙幅の関係」のみで行われているわけではない。中には、原文では噂として紹介されている話を省略によって事実と誤読させたり、朝鮮人への迫害の場面を省いたり、ひどいものになると原文の論旨を完全にねじまげてしまっているものもある。決して長くない引用なのに、(略)と「こっそり省略」を合計8箇所も行ってブツ切りにしているものもある(同p.147。孫引き元とおぼしき『現代史資料6』p.177の原文とつきあわせて見よ)。
もはや「改変」と呼んでもいい事態である(どこでどのように省略を「行使」しているかについては、後日、追って掲載する詳細な検証を見ていただきたいが、とりあえずは、こちらに1点だけ示しておく。→『記憶に刻む』「後藤新平 闕下(けっか)に奉呈せし【せんとし】待罪書

これが『徳川家康の人生訓』といった類のお手軽教養本であれば、歴史文書が不正確に引用されていることがあってもさしたる害はないだろう。しかし、論争的な歴史ノンフィクションで引用の原文を(略)と明示せずに省略するなど、ありえないことだ。

さらには、権威のある資料を「出典」として文末で示しつつ、しかしその実、原典に全く書いていないことを書き連ねるということまで行っている。『なかった』p.336で、工藤夫妻は以下のように書いている。

「ところで、こうした上海仮政府と地下水脈で通じていたテロ集団にも、路線をめぐる党派争いがあった。/その結果、集団はいくつかの分派に分裂しながら、個々にテロ計画を練って日本内地襲撃を狙っていたものと考えられる。だが、いずれの分派も目標日の第一は摂政宮の御成婚当日、それも摂政宮そのものを目標としていた。ところが分派それぞれの事情から、資金や実行部隊の確保、逃走ルートの確認等の準備がばらばらで統一を欠いていた(『朝鮮民族独立運動秘史』)」

上海仮政府とは、上海に拠点を置いた朝鮮独立派の臨時政府のこと。摂政宮とは、当時の皇太子、後の昭和天皇のことである。中国に拠点を置く朝鮮人抗日組織各派が、それぞれに摂政宮襲撃の準備を進めていたというのである。『朝鮮民族独立運動秘史』(以下、『秘史』)という本にそう書いてあるというのだ。

『秘史』は、朝鮮総督府の治安官僚をつとめた坪江汕二が戦後に書いた非常に史料的価値の高い本である。その本の中に、朝鮮人抗日組織が関東大震災前後の時期に摂政宮襲撃に向けて準備していたと書いてあるという。これは本当だろうか。

実は『秘史』にはそんなことは全く書いていない。関東大震災に言及しているのは一箇所だけだ。「関東大震災の報道は、とくにかれら(満州の朝鮮人抗日組織各派)に誇大に伝えられ、これを契機として日本の国力の後退を夢想し、運動戦線の統一と強化をはかろうとする気運が強まっていった」という一文ですべてなのである。その前後にも、摂政宮襲撃だの逃走ルートだのという話は全く出てこない。


出典が明記されていても、その内容が本当に原典に書いてあるとは限らないというのでは、一体、何を信用して本を読み進めればいいのか。ルール違反もここまで来ると、これをそのまま販売し続ける版元の見識の問題である。

そもそも―「そもそも」すぎて力が抜けてしまうが―そもそも、ペンネームが変わるというのではなく、著者そのものが交代するなどという話も、前代未聞である。しかも、後書きで「取材・執筆を共同で行ってきた関係から」著者名義を変えた―などというほとんど意味をなさない言い訳がなされているだけで、著者交代について何の説明もないのだ。『なかった』のアマゾンレビューで、評論家の小谷野敦氏が書いている。「著者の名義変更なんて、疑わしい本ですよとか、実は代作でしたと言っているようなものだ」。

ちなみにこの本には、トリックというより単なる稚拙な誤りもたくさんある。東京・音羽町を舞台にしたエッセイを横浜の話と思い込んで(『なかった』p.57)繰り返し言及するとか、「50本の巻きタバコが入る箱くらいの大きさの爆弾」という意味の原文を「爆弾50個」と読む(同p.343)とか、中国の安東県(現在の丹東市)を韓国・慶尚北道の安東市と誤解する(同上)とか、中国に存在する朝鮮人抗日組織が震災後の9月19日に朝鮮でのテロの準備を始めたという特高情報を、その3週間前の9月1日に彼らが東京でテロを「行った」証拠として掲げる(同p.344)とか、きりがないほどだ。

当ブログは、サイト「『朝鮮人虐殺はなかった』はなぜデタラメか」の一部です。朝鮮人虐殺、あるいは虐殺否定論批判をもっとくわしく知りたい方は、そちらもご覧ください。

NEXT→【まとめ】 
その役割は「犯罪的」としかいいようがない